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日本の大学で「教養」を教えることのできる教師は稀だ

日本の大学だけではなく、世界的にそうなんですが、大学で教養を教えることができる教師は、稀なんです。私が考えている教養教師の典型は、プラトン、アリストテレス、デカルト、ヘーゲルで、社会科学・人文科学・自然科学もちやんと教えることのできる人です。問題は、こういう人が日本に少ない、ということではなく、一人も養成していないということです。教養を専門に研究教育する人材を養成する機関がないことです。ヘーゲルの教科書『エンチクロペディ』は「哲学的な百科全書」と銘打たれていますが、いうならば、教養大全(要綱)です。自然から始まって、生物と人間身体、そして、人間の精神、社会と歴史と全部を包括しています。そのベースに思考の論理が置かれています。現在、知識と技術の領分が格段に拡大したとはいえ、これに匹敵するようなテキストがない、準備している教師もいない、というのが現状ではないでしょうか。分担して教えればいいじゃないかといいますが、ダメなんですね。効果半減なのです。教養というのは、残念ながら、分担では十分に教えられないのです。「私は英語だけ教えます」「私は文学だけ教えます」では、ダメなんです。まさに断片の寄せ集めで、「教養」になりにくいこと甚だしいのです。教える方は、一人。しかも、そういうものを、体現した人でなければ、学生は納得しない。聞き耳を立てません。「あいつは数学はできるが、社会生活ではバカだ」というのは、専門家なら許されます。しかし、教養家ではそれは困るわけです。
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