今までの医療者は、死を単に敵としてしか見ませんでしたから、ひたすらこれから眼をそらせていました。医者の立場から死を真剣に考えようとはしませんでした。その意味では、死の告知の問題は患者自身にとってたいへん重要な問題であると同時に、医者の側にとってもきわめて重大で困難な、そして新しい課題となったことを認めなくてはならないでしょう。死に至る病気を告知することは医者にとって決して医者としての責任から解放されることを意味するのではなく、むしろ死に直面させられた患者とどのようにして最後の時間を有意義に共有すべきかという新しい、そしてきわめてシリアスな問題を自らに課することを意味します。それは、自ら効果を確信しているわけでもないあれこれの医学的演技を、患者をあざむきながら行なって間を持たせているのに比べて、はるかに難しい役割を医者が買って出ることを意味するわけですから、告知の問題を患者の問題としてだけでなく医者自身の側の問題としても真剣にとらえることが必要でしょう。それなくして安易に告知することはできないはずです。要するに、死とそして死にゆく患者とへの自らの視座が確立した後、はじめて医療者にとって情報公開ないし告知の問題をあげつらう資格ができるというものでしょう。