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日本における庭の歴史について

日本の庭はどうか。にわということばは、もともとは、ひろい場所のことをさしていったようだ。『日本書紀』のなかにも、神武天皇が「まつりのにわを鳥見山の中に立つ」というような表現がみえる。いまでも、農家中町家で「にわ」といえば、屋内外の作業用のひろい土間のことをいい、草木などを植えたいわゆる庭は、「前栽」とよばれているのがふつうだ。すると、いま私たちが一般にいう庭のことを、むかしの人はなんとよんでいたのであろうか。

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記録上、日本でいちばん古い庭園は、蘇我馬子が飛鳥のじぶんの家につくった池や島をもつ庭で、当時それがめずらしかったのか、人びとは馬子のことを「島の大臣」とよんだ。また、大伴旅人が、九州の任地から奈良の平城京の自宅にかえったときによんだ歌に「妹としてふたり作りしわがしまは木高かくしげくなりにけるかも(万葉集四五二)」というのがある。そのほか『万葉集』などには「屋前」という用例もないではないが、それらはだいたい家の前の空地をさし、人工的につくられた本格的な庭のことはしまとよんでいたようだ。文献によると、だいたい平安時代のころまで、そういう語例がのこっている。